ギリシャ神話を語るうえで外せない存在──それがヘラです。
彼女は結婚と女性の守護神として人々に信仰されていましたが、その一方で嫉妬深く、怒りっぽい一面も強く印象に残る神様なんですよね。
とくに夫のゼウスが浮気を繰り返しては、そのたびにヘラの怒りが爆発。相手の女性や、ゼウスとの間に生まれた子どもたちが、えげつない仕打ちを受けることもしょっちゅうでした。
でもその激しい感情こそが、物語を大きく動かしていくんです。 ヘラの物語は、「愛と嫉妬」が神話世界を揺さぶる原動力になることを教えてくれる伝説なんですね。
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ゼウスとヘラ
出典:Photo by Annibale Carracci / Wikimedia Commons Public domain
ヘラはオリュンポス十二神のひとりであり、そしてゼウスの正妻として広く知られた存在です。
彼女は結婚・家庭・出産の守護神として、ギリシャ世界ではとても大切にされていました。夫婦の絆を見守り、家族の平和を保つ存在として、日々の暮らしの中に深く根づいていたんです。
結婚式や出産のときには、必ずヘラの名が祈りに捧げられました。彼女は「妻としての誇り」や「家族を支える力」を象徴する女神で、多くの女性たちから信頼されていたんですね。
まさに、家庭を安定させる大黒柱のような存在。夫婦の結びつきや家庭の幸せを見守るヘラの存在は、安心して暮らすための心の支えだったんです。
ヘラとゼウスの結婚は、神々にとっても大イベントでした。二人の婚礼はとても豪華で、天地が祝福したとまで言われています。それだけに、この結婚は神々の世界に秩序と安定をもたらす象徴的なできごとでもあったんです。
……けれど現実はそう甘くありませんでした。ゼウスの浮気はあまりにも多く、そのたびにヘラは嫉妬と怒りで心を揺さぶられることになります。愛ゆえに苦しむ、その姿は神というより、どこか人間くさくもありますよね。
ヘラには、家族を大切にするあたたかな母の顔と、傷ついたときには激しい怒りを燃やす復讐者の顔の両方があります。その二面性こそが、彼女という存在をより深く、印象的なものにしているんです。
愛と怒り、優しさと激しさ──その両方を抱えているからこそ、ヘラはただの「家庭の神」ではなく、
ギリシャ神話の中でもとびきり強烈で、人間味あふれるキャラクターとして描かれているんですね。
つまりヘラは、結婚と家庭を守ると同時に、嫉妬や怒りを宿した女神だったのです。
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『イオとゼウス』
ゼウスが嫉妬深いヘラからイオを隠すため、イオを白い牝牛に変えた場面を描いた作品。
─ 出典:アンブロージョ・フィジーノ作(16世紀)/Wikimedia Commons Public Domainより ─
ゼウスの浮気は……もう、数えるのをあきらめたくなるほどの多さでした。そしてそのたびにヘラの怒りは燃え上がり、ただでさえ激しい性格に拍車がかかっていくんです。
でも面白いのは、彼女がその怒りを直接ゼウスにぶつけることはあまりなかったという点。矛先はたいてい、浮気相手の女性たちや、その間に生まれた子どもたちに向けられていったんですね。
ゼウスが惚れ込んだのは、美しい神官イオ。ヘラにバレないようにと、ゼウスはイオを白い牝牛の姿に変えて隠そうとするんですが……そんな小細工がヘラに通じるわけもなく。すぐに見破られてしまいます。
ヘラは牛となったイオを取り上げて、百の目を持つアルゴスに見張らせるという厳重すぎる監視をつけました。その後もイオは各地をさまよう放浪の旅へ──
まるで自由を奪われた哀れな魂のようなその姿は、ヘラの嫉妬のすさまじさを物語っています。
ゼウスとの間に子を授かった女神レトに対しても、ヘラの怒りは容赦なし。「どこの大地でも出産しちゃダメ!」という命令を出して、レトが安心して身を寄せられる場所をことごとく封じてしまいます。
それでもなんとかデロス島という小さな島で、レトはアポロンとアルテミスを出産しますが、その道のりには終始、ヘラの執拗な妨害が付きまといました。 彼女の嫉妬は、新たな神の誕生さえ脅かすほどの力を持っていたんです。
さらに人間の娘セメレの物語では、ヘラの復讐がより巧妙な形で現れます。彼女は老婆に化けてセメレに近づき、「ゼウスが本当に神なら、その姿を見せてもらいなさい」とそそのかします。
信じてしまったセメレは、ゼウスの本来の姿を見たいと願い、それを聞き入れたゼウスが神の姿を現した瞬間──
雷の光に焼かれ、セメレは命を落としてしまうんです。
そのお腹にいたディオニュソスだけが奇跡的に助かりましたが、背景にあったのはやはり、ヘラの嫉妬と復讐。
愛ゆえの執念が、物語の流れを大きく変えてしまうほど強烈だったんですね。
つまりヘラの嫉妬は、ゼウスの浮気相手やその子どもたちに厳しい試練を与える力として描かれていたのです。
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幼いヘラクレスがヘラから差し向けられた蛇を絞め殺す場面(赤像式スタムノス)
出典:Photo by Marie-Lan Nguyen (Jastrow) / Louvre Museum / Wikimedia Commons Public domainより
ヘラの嫉妬が最も激しく向けられた相手──それが英雄ヘラクレスです。彼はゼウスと人間の女性アルクメネの間に生まれた子。つまり、ヘラにとっては「自分の夫が他所で作った子ども」という、怒りの対象ど真ん中だったんですね。
だから彼女は、ヘラクレスがまだ赤ん坊の頃からずっと、徹底的に追い詰めていきます。
生まれて間もないヘラクレスのゆりかごに、ヘラはなんと二匹の大蛇を送り込みました。普通の赤ちゃんだったらひとたまりもありません。でもヘラクレスは違いました。
小さな手でその大蛇をつかみ、ぐいっと締め上げて退治してしまうんです。
この出来事は、後に語り継がれる彼の怪力と勇気の片鱗。そして同時に、ヘラとの長い因縁の幕開けでもありました。
成長したヘラクレスにも、ヘラの憎しみは容赦なく襲いかかります。ある日、彼女の放った狂気の霧に包まれたヘラクレスは、正気を失ってしまうんです。
そしてなんと、自分の妻や子どもたちを自らの手で殺してしまう──
英雄とは思えない、あまりにも残酷な悲劇。でもこれは、神の手によって起こされた悲劇でもあったんですね。
その深い罪の意識から、ヘラクレスは贖罪の旅に出ることになります。それが、あの有名な十二の功業へとつながっていくんです。
ネメアのライオン退治、ヒュドラとの激闘、黄金の林檎の獲得──
数々の試練を乗り越えていくヘラクレスの姿は、まさに英雄そのもの。でも、それは同時に、ヘラの執念深い復讐心が生んだ試練の数々でもあったんです。
つまりヘラクレスの物語って、「力と勇気の英雄譚」であると同時に、「女神との終わらない対立」の歴史でもあったということ。
その栄光の裏には、いつもヘラの怒りと影が潜んでいたんですね。
つまりヘラクレスの英雄譚は、ヘラの嫉妬が生んだ試練と、その克服の物語だったのです。
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