古代ギリシャ神話に登場する神さまたちの中でも、とくに人々の心をざわつかせたのが「軍神」と呼ばれる存在たちでした。どうしても避けられない戦争という出来事に、神の姿を重ねることで、当時の人たちはその恐れや願いを物語として描き出したんですね。
その代表がアレスとアテナ。ふたりは同じ「戦の神」でも、まったくちがうタイプでした。アレスが象徴するのは、血に飢えた破壊の力。アテナは、知恵と冷静さによる戦略の力。このコントラストが、ギリシャ神話の戦の描かれ方を一段と深いものにしているんです。
つまり、ギリシャ神話における軍神って、「戦いの恐ろしさ」と「戦いの理性」の両方を映す鏡のような存在だったんですね。
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軍神アレスの木版画
─ 出典:Wikimedia Commons Public Domainより ─
古代ギリシャのアレスは、とにかく「戦うこと」そのものが大好きな神でした。ゼウスとヘラの子として生まれた彼は、戦場に響く叫び声や、血と混乱に魅せられてしまう存在だったんです。だからこそ人々にとってアレスは、恐ろしくもあって、でもどこか近寄りがたい畏怖の神でもありました。
剣と盾がぶつかりあい、兵士たちが命をかけてぶつかる──そんな修羅場には、いつだってアレスがいると信じられていました。彼は破壊と殺戮の神で、勝ち負けなんてどうでもいい。ただ「戦うこと」そのものに酔っていたんですね。
アレスは「戦争の狂気」をそのまま体現したような存在。戦場の恐怖や混乱が、そのまま神の姿になったようなイメージだったんです。
でも、そんなアレスにも意外な一面がありました。たとえばアフロディテとの恋。戦場では誰よりも荒々しい彼が、愛の女神の前ではすっかり無防備になってしまうんです。
しかもその関係がヘパイストスにバレて、恥ずかしい目にあうエピソードまで残っていて、神々の世界でもちょっとした笑い話になってたみたいです。つまりアレスは、恐ろしいだけじゃなくて、情けなさや人間っぽさも持ち合わせた神だったんですね。
ギリシャでは「暴力の化身」として怖がられていたアレスですが、ローマに渡るとマルスという名前で、なんと国家の守護神として尊敬される存在に変わっちゃうんです。農業や秩序を守る力もあわせ持つ、まさに頼れる神さま。
この違いは、ギリシャが戦争を「怖いもの」と見ていたのに対して、ローマでは「国家を守るための正義の力」と考えていた──そんな文化の違いがよく表れているんですね。
つまりアレスは、戦いの恐怖と狂気そのものを具現化した存在だったのです。
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都市アテネを守る戦の女神アテナ
知恵と戦略を司る女神像は、法と市民徳を重んじるポリス社会の理想像と重ねて読み取られてきた。
出典:Gustav Klimt (artist) / Wikimedia Commons Public domain
一方のアテナは、同じ戦いの神でありながら、理性と知恵によって勝利を導くタイプの女神でした。なんとゼウスの頭から生まれたという、ちょっと変わった誕生の神さま。
しかもその瞬間から知性と秩序の力を持っていた、特別な存在なんです。ギリシャの人々にとってアテナは、「力まかせの暴力」じゃなく「冷静で戦略的な戦い」の理想を体現する神でした。
アテナは、ただの戦の女神じゃありませんでした。都市を守り、人々の暮らしを安定させる守護神としても敬われていたんです。特にアテネという街は、彼女の名前からつけられたほど。その街では、知恵と正義に根ざした戦いこそが理想とされていました。
だからアテナは、敵を倒すための剣を持ちながら、同時に都市に秩序をもたらす守りの女神としても信じられていたんですね。
アテナが持っていたのは槍とアイギスの盾。その盾にはメドゥーサの首が描かれていて、見ただけで敵がすくみ上がると言われていました。彼女が戦場に立つと、そこには混乱ではなく、むしろ勇気と秩序が生まれたんです。
アレスのように「混乱と破壊」をもたらす存在とは対照的に、アテナは戦いに秩序と意味を与える神だったんですね。
そして忘れちゃいけないのが、工芸や知識の女神としてのアテナの顔です。織物やものづくり、学問や知恵の守り神としても人々に親しまれていたんですよ。手を動かすことや考えること、そういった創造的な営みは、すべてアテナの加護のもとにあると考えられていました。
つまりアテナは、破壊するだけの戦の神ではなく、新しいものを生み出し、社会を育てていく力とも深くつながっていた女神だったんです。
つまりアテナは、知恵と正義をもって戦いに秩序を与える女神だったのです。
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『アレスとアテナの戦い』
戦の喧噪と憤怒に駆られた軍神アレスが、理性と秩序を体現するアテナに制される場面。力の衝動と抑制のせめぎ合いが、軍神像の本質を際立たせる。
出典:ジャック=ルイ・ダヴィッド(1748 - 1825)/ Photo by Louvre / Wikimedia Commons Public domainより
アレスとアテナ。どちらも「軍神」と呼ばれる存在だけれど、その性格は真逆でした。アレスは血と混乱の中で笑うような、戦そのものに酔いしれるタイプ。一方のアテナは、知恵と冷静な判断で戦を制する戦略の神。
この対照的な二人の姿こそが、古代ギリシャの人々が「戦争」という現実にどう向き合っていたかをよく物語っているんです。
戦争はただの破壊じゃありません。古代の人たちにとってそれは、家や国を失う恐ろしい現実でありながら、同時に秩序や正義を守るための手段でもあったんです。
だから「戦には狂気と理性、両方の顔がある」と考えられていました。そして、その両極端をそれぞれ体現していたのが、アレスとアテナだったというわけですね。
アレスとアテナの物語は、「戦争はいいか悪いか」みたいな単純な話じゃありません。戦いには恐ろしさもあれば、勇気や知恵の力もある──そんな戦争の本質を、神々の姿を通して描いていたんです。
だからこそ人々は、この二柱の神を通じて、「戦うってどういうことだろう?」と、自分自身に問いかけるきっかけを得ていたのでしょう。
アレスとアテナの対比は、じつは今の時代にも生き続けています。何かを力で押し通そうとするのか、それとも対話と知恵で乗り越えようとするのか──そんな選択を私たちが迫られるとき、ふとこの二柱の神の姿が重なって見えることがあるかもしれません。
神話は過去のものじゃないんです。今もなお、私たちの価値観や選択を映し出す鏡として、そっと語りかけてくるんですよ。
つまり軍神の二面性は、人類にとって戦争の本質を映す鏡だったのです。
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