古代ギリシャ神話を見てみると、光り輝く神々と同じくらい闇の神々も大切に語られているんです。
闇って聞くと、なんとなく「怖い」とか「不吉」ってイメージがあるかもしれません。でも当時の人々にとって、闇はただの恐怖ではなくて、死や眠りを包み込み、次の始まりを生み出す神秘の力でもあったんですね。
その代表がエレボスやニュクス。このふたりは、宇宙がまだ形になる前から存在していた原初の神々です。つまり、世界の最初の最初からいた、とんでもなく古い存在。その存在感は、のちのオリュンポスの神々にまで影響を与えていくことになります。
闇はただ怖いだけじゃなくて、静けさや安らぎ、そして新たな命が生まれる前の「まどろみ」でもあった──そんなふうに、多くの意味を持つ象徴として捉えられていたんですね。
つまり、ギリシャ神話に登場する闇の神々は、「死と再生のサイクル」を内に秘めた、ものすごく根源的な存在だった。恐れつつも敬う、そんな特別な目で見られていたのです。
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まず紹介したいのがエレボス。この神は、宇宙がまだカタチになる前の混沌──カオスから生まれたとされる、いちばん古い神々のひとりです。そして彼が象徴していたのは、ただの夜の暗さじゃない。光が一切届かない、底なしの闇そのものだったんです。
夜の帳が下りるような一時的な暗さとは違って、もっと深くて、重くて、人間には決して触れることのできない根源的な存在。まさに「原初の闇」の化身だったんですね。
エレボスが支配していたのは、いわゆる「暗がり」ではなく、死後の世界に広がる陰鬱な空間。亡くなった魂が冥界へ向かうとき、最初に通るのがこのエレボスの領域なんです。
だから彼は、単なる恐怖の象徴ではなく、死者を迎え入れる静かな空間でもありました。古代の人々にとっては、避けて通れないけれど、どこか神秘的で不可侵な「通り道」だったんですね。
そしてもうひとつ興味深いのが、タナトス(死の神)やヒュプノス(眠りの神)との関係です。闇が訪れると人は自然と眠りに落ち、眠りは死の感覚にどこか似ている──そんな感覚、なんとなくわかる気がしませんか?
エレボスはその中間地点のような存在。眠りと死をつなぐ、見えない橋みたいなイメージですね。そこにはやすらぎもあれば、やっぱりちょっとした怖さもあったんです。
さらにエレボスは、地上と冥界をつなぐ境界の存在ともされていました。生きている世界と死者の世界を分ける、そのちょうどあいだに彼がいたんですね。
つまり、エレボスは「生から死への移行」を象徴する神──ギリシャ神話の中でとても静かだけど、ものすごく重要な役割を担っていた存在なんです。
つまりエレボスは、死後の世界と深淵の暗闇を結びつける原初の存在だったのです。
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夜の女神ニュクス
─ 出典:Gustave Moreau/1880年作-Wikimedia Commons Public Domainより ─
エレボスと切っても切り離せない存在といえば、やっぱりニュクスです。彼女は夜そのものを象徴する女神で、エレボスと同じくカオスから生まれた原初の神。漆黒の夜が大地をそっと包み込むとき、人々はその静けさの奥に、ニュクスの気配を感じていたんですね。
ニュクスは、ただ「夜が来る」っていうだけじゃなく、昼と夜のリズムそのものを生み出す力を持っていました。太陽が沈み、空が暗くなるたびに、彼女が大空に広がっていく──そんなふうに考えられていたんです。
その姿は、美しくて神秘的。でも近づくことすらためらうような、厳かで畏れ多い存在でもありました。夜の営みそのものを神として見ていた──それがニュクスの神格だったんですね。
神話では、エレボスとニュクスが結ばれて、多くの子どもたちをもうけたと語られています。その中には、モイライ(三姉妹の運命の女神)や、ヒュプノス(眠りの神)、タナトス(死の神)といった、どれも人間が逆らえない力を司る神々が名を連ねているんです。
つまりこのふたりは、「始まりと終わり」「静けさと終焉」、そんな人間の存在にとって最も根本的なテーマを抱える神々の“親”だったんですね。
ニュクスは、あのゼウスですらむやみに逆らわなかったといいます。彼女の力はそれほどまでに別格だったんですね。どんなに力を持つ神々でも、夜と闇が秘める何かには敵わない──そう信じられていたのかもしれません。
ニュクスは、神秘と恐れをいっぺんに呼び起こす存在。見えないけれど確かにそこにいて、静かにすべてを包み込む夜の化身。その姿は、今でもどこか心に残るような、不思議な魅力を放っているんです。
つまりニュクスは、夜と闇を生み出し、多くの運命的存在を生んだ強大な女神だったのです。
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ウィリアム・ブレイク『ヘカテ』(1795頃)
冥界の境界と魔術に通じる女神を不気味な夜の情景の中に描き、三相の姿や従う獣たちで「冥界」の性格を強調している。
出典:Photo by The Yorck Project / Wikimedia Commons Public domain
古代ギリシャの人たちにとって闇というのは、ただの「光がない状態」ではありませんでした。そこには死や恐怖といった不安だけでなく、再生や癒やしといった希望のイメージも重ねられていたんです。
つまり、闇は「見えなくて怖いもの」だけじゃなく、世界をかたちづくる重要な力だと受け止められていたんですね。
闇は、目に見えないものへの不安をかき立てますよね。古代の人々も同じで、闇は死や冥界、あるいは幽霊や神々の領域を連想させるものだったんです。
夜が訪れてあたりが真っ暗になると、「この先、自分の命はどこへ行くのか?」──そんな死後の旅を思わせる瞬間でもありました。だからこそ、闇は畏れられ、特別な存在として意識されていたんです。
でも闇には、もうひとつの大切な顔がありました。それが眠りと再生です。
夜の暗さの中で人は静かに眠り、体を癒やして、また次の朝に備える。この繰り返しがあったからこそ、闇は「怖いだけじゃない」、安らぎの象徴としても受け入れられていたんですね。
闇は人を一度「死」に近づけながら、次の「再生」へと導く──そんな二重の力を持っていた。この感覚は、今でもなんだか共感できる気がします。
古代ギリシャでは、秘儀や祭祀の多くが夜に行われていました。松明や灯火のほのかな光のもとで進む儀式は、昼間では味わえない神秘的な雰囲気をつくりだしたんです。
人々はその暗がりの中で、神の気配を感じ、生と死の循環や宇宙の秩序に触れるような、特別な時間を体験しました。
闇は決してただの背景ではなく、神と人をつなぐ神聖な舞台だったんですね。見えないからこそ、心の目で何か大きなものを感じ取る──そんな空間がそこに広がっていたのです。
つまり闇は、恐怖と安らぎ、死と再生を同時に象徴する多面的な存在だったのです。
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