「7将によるテーバイ攻め」って聞くと、なんだか難しそうな戦争の話に思えるかもしれません。でもじつはこれ、ギリシャ神話の中でもかなりドラマ性の高いエピソードなんですよ。
舞台はテーバイという都市。物語の発端は、あのオイディプス王の息子たちが引き起こした骨肉の争いでした。つまり、家族の確執がそのまま国家の大戦争につながっていくという、なんともヘビーな展開。
裏切りに呪い、そして7人の将軍たちによる命がけの戦い。こうした要素が絡み合って、一気に壮大な悲劇へと雪崩れ込んでいくんです。
この物語は後世、多くのギリシャ悲劇の題材にもなり、舞台で演じられるたびに観客の心を揺さぶってきました。
つまり、「7将によるテーバイ攻め」は、オイディプスの呪いを引き継いだ息子たちの宿命の戦いを中心に、英雄たちが集結して繰り広げた壮大な神話戦争なんです。人間の運命、誇り、そして悲しみが詰まった、ギリシャ神話の中でもひときわ印象深いエピソードなんですよ。
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テーバイ攻囲戦の七将
アイスキュロスの悲劇で知られる「七将」と「七つの門」の主題を描いた作品で、城門前に集う遠征軍の誓いと対立の構図を示す。
出典:Photo by Angelique Mongez / Wikimedia Commons Public domain
「7将によるテーバイ攻め」の話をするなら、まず避けて通れないのがオイディプス王の存在です。
彼は、なんと知らないうちに実の父を殺し、母と結ばれてしまうという、ギリシャ神話でもトップクラスに数奇な運命を背負った人物。
その真実を知ったとき、あまりの衝撃に自ら目を潰し、王位を捨てて放浪するという壮絶な末路をたどるんです。
でも、物語はここで終わりません。この悲劇は、彼一人だけのものじゃなかった。
その呪いは、子どもたちにも容赦なく降りかかっていった──
それこそが、テーバイ戦争の根本にある火種だったんです。
オイディプスの息子たち、エテオクレスとポリュネイケスは、もともと仲良く1年交代で王位を分け合うという約束をしていました。
ところが、最初に王になったエテオクレスが約束を反故にして王座に居座り続けたんです。
追い出されたポリュネイケスは、兄の裏切りに怒りを爆発させ、奪われた故郷を取り戻すために戦いを決意。
……まさかの兄弟ゲンカが、やがて国を巻き込む大戦争にまで発展していくという、まるで呪いが生きているかのような展開なんです。
テーバイを追われたポリュネイケスは、放浪の末にアルゴス王アドラストスのもとへ。
そこで王の娘と結婚し、義理の兄弟として強力な支援を得ることに成功します。
その支援の中で集められたのが、のちに「七将」と呼ばれる精鋭たち!
剣の腕も戦略も一流、名誉と仲間のために命を懸ける熱き将軍たちが、ポリュネイケスとともにテーバイに進軍するのです。
でも……どれだけ優れた英雄たちが集まっても、根っこにある「呪い」までは断ち切れなかった。
オイディプスが背負った運命は、息子たちを通じてさらに深い悲劇へと連なっていきます。兄弟の争いは、もはや個人の問題じゃなくなり、ついには国を巻き込む破滅へ──。
誰もが命を落とし、栄光や勝利さえもむなしく消えていく。
どんなに強い英雄でも、運命の流れには逆らえない──
このテーバイ戦争の物語には、ギリシャ神話が繰り返し語ってきた「宿命の重さ」が、これでもかと刻み込まれているんです。
つまり「7将によるテーバイ攻め」は、オイディプス王の呪いから始まった家族の争いが、都市全体を巻き込む大戦へと発展した物語だったのです。
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七将の誓い
テーバイの七つの門を攻める遠征軍が出陣前に誓いを立てる場面
出典:Photo by Flaxman / Wikimedia Commons Public domain
さて、戦いの中心となるのが七将と呼ばれる英雄たち。
彼らはただの兵士じゃありません。それぞれがしっかりと個性を持っていて、テーバイにある七つの門を一人ひとりが担当して攻め込むという、まるで舞台劇のような構図になっているんです。
この「七人で七つの門を攻める」スタイルが、物語にテンポと見せ場を与えていて、とてもドラマチック。まさに英雄たちが順番にスポットライトを浴びる形式なんですね。
まずは遠征軍のリーダー、アルゴス王アドラストス。
彼はポリュネイケスの義兄であり、この戦争の総大将。冷静でリーダーシップもあり、戦場では軍のまとめ役として活躍します。
ただ戦うだけじゃなく、七将をまとめあげ、同盟の結束を支えた人物でもあったんですね。
彼がいなかったら、七将はバラバラに暴走していたかもしれません。
つづいて紹介するのがカパネウス。この将軍、度胸も腕っぷしも申し分なし……なんですが、ちょっと言葉が過ぎるタイプ。
テーバイの城壁に登ろうとしたとき、「ゼウスの雷でも俺は止められないぜ!」なんて豪語したんです。
結果? 本当にゼウスの雷に打たれて、命を落としてしまいました。
まさに神をなめちゃダメというギリシャ神話の鉄則を体現するキャラですね。 人間の傲慢が神の怒りを買う──その恐ろしさがよくわかるエピソードです。
他にも個性派ぞろいの将軍たちが勢ぞろいしています。
ヒュポメドーンは豪快なパワーファイター、パルテノパイオスは若さとスピードで戦う機動派。どちらもそれぞれの持ち味で戦場を駆け抜けました。
そして特に印象的なのがアンピアラオス。
この人物、じつは予言者>でもありました。彼はこの戦争が悲惨な結末になると最初からわかっていたんです。
それでも戦争を避けられず、運命に引きずられるように出陣。
やがて予言どおりの悲劇的な最期>を迎えることになるんです……。
それぞれの英雄たちが異なる個性と運命を背負っているからこそ、この戦争の物語は奥行きのあるものになっているんです。
戦いの強さだけじゃなく、心の葛藤や人間ドラマがぎゅっと詰まった、そんな神話なんですよ。
つまり七人の将軍たちは、単なる戦士ではなく、それぞれの性格や運命が物語に深みを与えていたのです。
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エテオクレスとポリュネイケスの悲劇
テーバイ王位を争った兄弟が相討ちとなり、戦いの後に遺骸として運ばれる図。近親憎悪と内乱の結末を象徴する場面。
出典:Project Gutenberg / Public domain
この戦いの結末は、とにかく衝撃的。
テーバイは完全に陥落することはありませんでした。でも、エテオクレスとポリュネイケスの兄弟は一騎打ちの末、互いを討ち取り、命を落としてしまうんです。
たとえ都市を守りきれたとしても、戦場に残ったのは痛みと喪失感だけ。だからこそ、この戦争はよく「勝者なき戦い」と呼ばれるんですね。
兄弟が剣を交え、同時に倒れる──この場面はまさに、オイディプスの呪いが極まった瞬間。
どちらかが勝つ余地もなく、どちらも破滅へと導かれていく。
その背景には、ただの人間同士の争いじゃない、神々や運命の意志がしっかりと影を落としているんです。
だからこそ、見ている人の心をぐっとつかむ。
「努力しても運命には勝てない」というギリシャ悲劇の核心が、このシーンにぎゅっと詰まっているんですよ。
この壮絶な戦いは、古代ギリシャの悲劇詩にも取り上げられました。
とくに有名なのが、アイスキュロスによる『七将軍対テーバイ』。
舞台では、将軍たちの勇ましさや名誉が描かれる一方で、どうしようもなく抗えない運命に翻弄される人間の弱さも描き出されます。
観客は戦いの緊迫感に飲み込まれながらも、最後にはなんともいえない深い哀しみに包まれて劇場をあとにする──それがこの物語の魅力なんです。
このテーバイ戦争の物語が語っているのは、単なる「昔の戦い」じゃありません。
避けられない運命、家族の断絶、そして英雄の光と影──こうしたテーマは、どんな時代にも共通するもの。だからこそ、中世や近代の作家たちもこの物語を何度も取り上げてきたんですね。
今でも多くの人がこの物語に惹かれるのは、「人間の力ではどうにもならないもの」が描かれているからなんです。強さ、誇り、そしてその果ての切なさ──それが、時代を超えて心に響き続けているんですね。
つまり「7将によるテーバイ攻め」の結末は、兄弟の相討ちと都市の存続という複雑な形で幕を閉じ、悲劇文学の礎として深い意味を持ったのです。
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