古代ギリシャの神話を見渡してみると、犬や馬、牛や鳥みたいな動物たちはよく登場して、神様や英雄たちの物語に彩りを添えてくれています。でも、ちょっと不思議なことに──猫の姿だけは、ほとんど見かけないんですよね。
これはたまたまじゃなくて、当時の暮らしや価値観が大きく関係していたみたいです。猫が神としてあがめられたのは、むしろエジプトの文化圏のことで、ギリシャではまた別の見方をされていたんですね。
つまり、ギリシャ神話には「猫の神様」は出てこなくて、そのイメージが出てくるのは、異文化との出会いや後の時代の解釈が加わってからなんです。
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実は古代ギリシャでは、猫って今みたいに当たり前に身近な存在じゃなかったんです。田舎の農村なんかで害獣を追い払うのは、もっぱらイタチやフェレットたちの仕事。だから当時の人々の暮らしや信仰の中で、猫が特別な役割を持つことはあまりなかったんですね。正直、ちょっと影の薄いポジションだったんです。
一方で神話によく登場するのが犬や馬。冥界の門番として名高いケルベロスや、英雄を乗せて駆ける神馬のエピソードなんかは、とても有名ですよね。犬は「忠誠」や「守り神」、馬は「力」と「スピード」の象徴として、人々の心をつかんで離しませんでした。
戦いや冒険といったヒーローたちの活躍にピッタリはまるからこそ、こうした動物たちは神話の中で輝きを放ったんです。
それから牛や羊といった家畜たちも、神話にたびたび登場します。食料や衣類をもたらすだけでなく、神様への捧げもの(犠牲)としても重要な存在でした。
たとえば「黄金の羊毛」の話や、神聖な牛をめぐる英雄譚など、こういった動物が物語のカギを握っているケースも多いんです。それだけ古代の人々にとって身近で、神とつながるシンボルだったということですね。
それに対して猫はというと……ギリシャではあまり飼われてなかったんですよ。エジプトみたいに神様扱いされることもなく、ネズミ退治だってイタチや犬にまかせっきり。だから猫がわざわざ神話に登場する理由が、そもそもなかったんです。
つまり猫って、当時のギリシャではまだ「神秘的な存在」って見なされてなかったというわけですね。その扱いの違いは、エジプト神話と見比べるととてもおもしろいポイントです。
つまりギリシャ神話に猫が登場しないのは、当時の生活や信仰に深く関わる存在ではなかったからなのです。
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アルテミス(ローマ名ダイアナ)
額の三日月が夜を司る側面を強調し、後に猫と結び付けられる要因となった。
出典:Bartholomeus Spranger (Artist) / Wikimedia Commons Public domainより
それでも時代が進むにつれて、ギリシャ神話のアルテミスという女神と猫のイメージが重ねられるようになってきました。アルテミスは月と狩猟の女神として知られていて、夜ととても深い関係があったんです。だから、夜の闇を静かに歩く猫の姿が、自然と彼女と結びつけられたんですね。
もともとの神話には猫なんて出てきません。でも、人々の想像力がふくらむことで、月の女神と夜行性の猫がゆっくりとつながっていったんです。
中世ヨーロッパに入ると、魔女と猫がセットで語られるようになります。黒猫が魔女の使いだと怖がられたり、夜の神秘と強く結びつけられたりした背景には、アルテミスの「月」と「女性の神秘」といったイメージが、どこかで影響していたのかもしれません。
つまり、女神と猫が仲良しのように語られるのは、ギリシャ神話そのものよりも、時代を経て生まれた新しい解釈だったんですね。
中には、巨神テュポーンから逃げるときに、アルテミスが猫に姿を変えたっていう話も残っています。ただこれは、古代の公式な神話というよりも、後の時代に生まれたエピソード。ギリシャ神話によくある「神様が動物に変身する」パターンと結びついて、物語として広まっていったのでしょう。
こういったお話の中で、猫という存在が少しずつ女神の象徴として取り入れられていったわけです。
アルテミスは夜を見守る女神でした。だから、暗闇の中で目を光らせながら静かに動く猫の姿が、彼女の力を思わせたんですね。そうやって、「猫=月の守護者」というイメージがいつしか人々の中に根づいていきました。
でもこれは、もともとの神話に書かれていた内容じゃなくて、人々の信仰や想像が生んだ新しい物語のカタチなんです。猫はこうして、ただの動物から「夜と神秘を象徴する存在」へと変わっていったんですね。
つまりアルテミスと猫の関係は、神話の時代そのものではなく、後世の解釈によって生まれたものなのです。
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座位で描かれた猫の女神バステト(エジプト神話)の彫刻
家庭と繁栄の守護者であり、穏やかさと戦闘的な性質を象徴。
─ 出典:Wikimedia Commons Public Domainより ─
猫と神様のつながりを語るうえで、どうしても外せないのが古代エジプトのバステト信仰です。バステトは猫の姿をした女神で、家庭・繁栄・守護を司っていました。エジプトの人たちは、日々の暮らしを守ってくれる神様として彼女を敬い、猫を飼うことそのものが信仰のあらわれとされていたんです。
そんなバステトですが、穏やかな家庭の守護神である一方で、戦いの女神セクメトとも深く関わっていました。ふだんは優雅でおだやかに見える猫が、ひとたび獲物を前にすると牙をむく──そのギャップこそが、彼女の二面性をよく表しているんです。
つまりバステトは、家庭を守るやさしい母のような存在でありながら、必要なときには鋭い力を発揮する戦いの神でもあったんですね。
当時、エジプトとギリシャは交易や文化交流が盛んでした。だからバステトのような猫の女神に対する信仰が、ギリシャにも伝わっていた可能性はあります。とはいえ、ギリシャ神話の本筋に猫が登場することは、やっぱりなかったんです。
むしろ猫を神聖な存在として崇める文化は、ギリシャ人から見ると「ちょっと不思議で、どこか魅力的なよその国の風習」として映っていたんでしょうね。
ギリシャでは猫が神話に出てくることはほとんどなかったのに対して、エジプトでは猫が神そのものとして崇められていた。この違いには、気候や暮らしぶり、動物との距離感といった文化の違いがはっきりと表れているんです。
同じ動物でも、文化が変われば信仰のあり方もガラッと変わる──そんなことを教えてくれるのが、ギリシャとエジプトの猫神話の対比なんですね。
つまりエジプト神話の影響によってこそ、猫と神格が結びつけられたのです。
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